話しは五時間前に遡る。
階段の踊り場で兄妹が口論している。
兄の重雄と、妹の静香であった。
「なんであたしが行かなきゃならないのよ」
「俊彦は真剣なんだぞ。今日は、おまえにプロポーズするつもりで、指輪を用意して
待っているんだ」
そうなのだ。
重雄は親友の俊彦に、その指輪を買うのにつき合わされたのだった。
そして今度のデートの時にプロポーズするんだと告白された。
もちろん反対するわけがなかった。
俊彦とは幼馴染みでもあり、その性格は知り尽くしている。
静香と結婚させても何ら心配することはない。
「そんなこと関係ないじゃない。誰と結婚しようと、あたしの勝手じゃない」
と突き放すように言うと階段を降りようとする。
「おい。どこに行く」
「どこでもいいでしょ。少なくとも俊彦の所じゃないわね」
「待てよ!」
「手を離してよ!」
静香が重雄の手を振り払った時だった、バランスを崩してしまった。
「危ない!」
とっさに静香に手を伸ばして助けようとするが、共に階段を転げ落ちてしまったの
だ。
どたどたどた……。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
静香がゆっくりと身体を起こした。
「いててて……」
何が起こったのかしばらく判らないようだった。
そして思い起こして、
「そうか……。階段から落ちたんだ」
あちこちに痛みがあったが、それほど大事には至っていないことが感じられた。
「そうだ……。静香」
そばに倒れている人影に目をやる静香だった。
「おい、静香。大丈夫か……」
声を掛けてみるが……。
打ち所が悪かったのだろうか、倒れている重雄は答えない。
「ちょっと待て! なんでここに俺が倒れているんだ?」
呆然とする静香。
「俺はここにいるんだ。なのに……」
そっと重雄の身体を触ろうとした手。
白く細い女性的な手が目に入ったようだ。
「この手は……。女の手? まさか……」
あわてて自分の姿を確認しようとする静香だった。
「女性の服を着ている……。しかも静香の着ていた服じゃないか……」
立ち上がってそばのバスルームに駆け込む静香。
そこには全身を映せる鏡があるからだ。
「っこ、これは?」
鏡に映る自分の姿に驚愕している静香。
「これは静香じゃないか? まさか……。入れ替わった?」
間違いなかった。
静香の身体に重雄の心が乗り移ってしまったのだ。
念のために服を脱いで見る。
目に飛び込んできたのは……。
豊かな乳房。
きゅっとくびれた細いウエスト。
張りのある大きな腰。
間違いなく女性である静香の身体だった。
「やはり間違いない。静香の身体だ」
信じられなかったが、状況がそう信じるしかないことを物語っていた。
床に倒れている自分の身体。
そして今自分が見ている、自分自身だと思われる静香の身体。
静香の身体に自分の意識が存在しているのは明白な事実のようであった。
「なんでこうなったんだ」
兄の眼にもまぶしいくらいだった豊かな乳房が胸にある。
自分の身体……というか、静香の身体になるのだが……触ってみる。
ぽよよーん。
ほどよい感触があって、心地よいくらいの刺激が返ってくる。
「やっぱりこの身体……。俺だよな……。こんなことって……。そうだ静香は?」
自分が静香の身体に乗り移っているとしたら、静香は重雄の身体に乗り移っている
という可能性が高い。
重雄の元に戻ってみる。
「おい。静香、起きろ。目を覚ませ!」
声を掛け、頬を軽く叩いてみるが一向に気が付く様子は見られなかった。
「まさか、打ち所が悪くて……」
静香は、倒れている重雄の身体を調べ始めた。
「脈は正常。呼吸も規則正しい。瞳孔反応は……玄関に非常用の懐中電灯があったな
……。よし、正常だ」
重雄は医学生だった。
だから今の静香にも、ある程度の診断を下すことができる。
「よし、大丈夫だ。どこにも異常は見られない。たぶん精神が入れ替わったものの、
静香の方は心身の融合がうまくいっていないのだろう」
まずは一安心する静香だった。
その時、廊下にある柱時計が時を告げた。
「ありゃあ、もうこんな時間か!」
俊彦との待ち合わせの時間だった。
「完璧に遅刻じゃないか」
俊彦はプロポーズするために待ち合わせいるんだった。
来るまで一日中でも待つつもりだ。
と、言っていたはずだ。
床に横たわる静香(自分)に目をやる。
俊彦と静香を結ばせてやりたい。
ずっと思っていた。
もしかしたらいい機会ではないだろうか。
今、自分は静香になっている。
この身体で俊彦と会い、縁談を成就やろう。
そうと決まれば、出かける用意である。
「まずは着替えだな……」
静香の部屋に入って、タンスをあさってみる。
「一体何を着ていけばいいんだろう」
こんな時、静香というか若い女性というものは、どんな服を身に着けるものだろう
か。
しかし……。こんなに下着を持っているなんてな。女はみんなそうなのだろうか。
「と、眺めている場合じゃないな」
どうせならセクシーなやつがいいだろう。
俊彦とは無二の親友で、性格も良く知っている。
あいつなら静香を裏切ることはないし……、この際だ。
最後の一線を越えちゃうのもいいだろう。
その気にさせるにも魅惑的な下着にしよう。
「やっぱり悩殺下着となれば、ガーターベルト! に決まりだろうな」
引き出しの中からガーターベルトとそれに見合う下着を探す。
「あった。なんだ、お揃いの下着があるじゃないか」
さっそくそれを着ることにする。
「何というか、ブラジャーだけど、着るには後ろ手で見えないし、女は背中によく手
が届くものだ……」
しかし、はじめて着けるはずなのに、意外にも簡単に着けることができた。
この身体は静香のものだし、毎日着けているので慣れというか、身体が動きを覚え
ているのだ。
ブラジャーを着けてショーツを履いて、ガーターベルトにストッキング……。
「よし。下着はこれで完璧だな」
改めて姿見に映してみる。

「ほほう、妹ながら結構いい身体している……。なかなかそそるな。これなら俊彦だ
って陥落するだろうぜ」
いつまでも関心している場合ではなかった。
「下着がこれだから、上に着るものもそれに合わせなくちゃな」
身体は静香とはいえ、心は男の重雄だった。
コーディネートとかいった女性的な配慮など知る由もなかった。
当然、男の視点で衣装選びすることになる。
「やはり、ミニのタイトスカートだろうな」
スカートの裾から覗くまぶしい太もも!
男を誘惑し、その気にさせるにはミニのタイトスカートに限る。
丁度いい具合にピンク色の上下のスーツがあった。
「これでいいんじゃないかな」
さらにその下に着るシャツ、女物はブラウスと言うんだっけ? それを適当に選ん
で着る。
よし! これでいい。
「おっと、女性はこれが必要だったな」
化粧品とか入れるバックだった。
女性は物をポケットに入れたりはしないものだ。
スーツとかには一応ポケットは付いてはいるがほとんど装飾品だ。
「しかし事前に化粧しておいてくれて助かったよ」
静香は出かける予定だったみたいだから、すでに化粧を終えていた。
もし自分で化粧するとなれば、とんでもない顔になっていただろう。
バックとコートを持って、出かける準備はできた。
ちらりと静香(自分の身体)を見る。
「そうか……。このままじゃ、風邪を引くか……」
動かせば目を覚ますかも知れないが、放っておくこともできない。
しかし、今の身体は静香だ。
この細腕で自分の身体を抱えることは不可能だろう。
「お、重いな」
両脇を抱えて引きずってこたつのある居間に運ぶことにする。
なんとかコタツに足を差し入れて、スイッチを弱にに入れておいた。
「まあ、これで大丈夫だろう」
玄関に出る。
「靴か……」
衣類もそうであるが、静香は結構な靴持ちである。
いろいろなデザインの靴が並んでいる。
ミニのタイトスカートに合うとなれば……。
「やはり、ハイヒールだよな」
靴箱の中で異彩を放つ赤いハイヒールに目が留まる。
「これにしよう」
今更靴選びで悩んだところでしようがない。
もうすでに約束の時間を三時間も過ぎている。
これ以上、俊彦を待たせるわけにはいかない。
玄関の扉を開けて外に出る。
「雪か……」
空から白い物が舞い降りていた。
気象予報では夜間にかけて降り続き、明日の朝にはかなりの積雪になるでしょう。
という注意報が出ていた。
「今更、行かないわけにはいくまい」
俊彦は静香が来るのを待っている。
一晩中でも待つと言っていた。
しかし……。
女の格好で外を出歩くことには、さすがに勇気がいった。
いや、今の身体は正真正銘の静香なのだ。
誰に恥ずかしがることもない。
堂々と歩いていけばいいのだ。
下手におどおどしていると、よけいに変に勘ぐられる。
姿勢を正して、まっすぐ前を向いて歩き出した。
ミニのタイトスカートにハイヒール。
女装初心者なら、歩きづらいところだろうが、静香という身体が覚えて慣れている
ので、しっかりと足を運んでいくことができた。
マイカーのある駐車場に向かおうとして気が付いた。
「しまった! 静香は運転免許を持っていない」
ブラジャーの着付けやハイヒールでの歩き方、静香としての身のこなし方を自然に
とっているということは、当然運転技術も身に付いていないことはすぐに判断できる。
「車はつかえないと言う事か……」
となれば駅まで、歩いていくしかない。
傘を持っていなかったが、今更取りに戻るのもおっくうだ。
どうせ俊彦と一緒になるんだ。
帰りは送ってくれる。
そのまま傘を持たずに歩いていくことにした。
雪は次第に本降りになっていく。
つづく
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